ディズニーランドにかつて存在したHolidayland(ホリデーランド1957~1961年)について

1962 Disneyland Map Holidayland Disneyland
Linda Trimm 1962 Disneyland Map
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幻のホリデーランド

カリフォルニアのディズニーランドの西端にあった『ホリデーランド』をご存じでしょうか。
それは、1957年6月~1961年9月までの約4年間だけ存在した「芝生のピクニックエリア」のことです。
約37,000㎡の敷地には、野球場、バレーボール場、ポニー牧場などがありました。

ホリデーランドを作ったきっかけ

ファンタジーランドのミッキーマウス・クラブ・サーカス

ホリデーランドを建設するきっかけとなったのが、「サーカス」の公演でした。

1955年11月~1956年1月に「Mickey Mouse Club Circus(ミッキーマウス・クラブ・サーカス)」の特別公演が、ディズニーランドのファンタジーランド(現在の「マッターホルン」の場所)で行なわれていたのです。

ディズニーランド内にサーカスとは。時代を感じますね?

サーカスのアイディアは、ウォルト本人によるものでした。
彼はディズニーランドには、サーカスが必要だと考えていたのです。
1955年7月のパークオープンには間に合いませんでしたが、約4ヶ月後の11月にはショーを開催できました。

1日2回のショーでは、伝統的なサーカスの他に、初代のThe Mouseketeers(マウスケティアーズ)たちがパレードをしたりショーを盛り上げる役割を担っていました。

「マウスケティアーズ」とは、ミッキーマウス・クラブのメンバーたちの名称です。

初代の「マウスケティアーズ」とウォルト?

マジックキングダムの地下施設には「The Mouseketeers」をもじったキャストメンバー専用カフェテラスがあります。その名も「The Mouseketeria」です。
地下施設についての記事はこちら?

短期間で閉鎖へ

しかし6週間後の1956年の1月に、サーカスは一旦閉鎖されます。

ゲストは、ディズニーランドのアトラクションやパレードを楽しみに訪れるのであって、古典的なサーカスを見たいと思わなかったのです。
また、オープンして間もなくリャマがサーカステントから逃げ出したり、ライオンやトラなどは檻の中でケンカになったりと、動物の管理が大変だったようです。

それ以上に、ウォルトが許せなかったのは、サーカス団員の態度でした。
彼らは、1回目と2回目のショーの合間に、酒を飲み、ギャンブルをするなど、ディズニーランドのクオリティを下げるような振る舞いをしていました。

ケラー教授のジャングル・キラーズ 

なんと、約1ヶ月後の2月19日に「Keller’s Jungle Killers(ケラー教授のジャングル・キラー)」の公演が新たにスタートします。
このショーは9月7日まで公演されました。

ケラー教授は、なんと大学の美術教授からサーカスの調教師へ転身した方です。
ライオン、トラ、ヒョウ、ジャガー、チーターなどを自由に操るショーはとても人気がありました。
一番の見せ所は、ライオンの口の中に教授の頭を入れることだったそうです。

ケラー教授は、幼い頃からネコが大好きで、ネコ科の大型動物のトレーナーになるのが夢でした。
その夢がディズニーランドで叶ったのです。

サーカスのキャッチフレーズ

これらのサーカスのキャッチフレーズがホリデーランドでした。

当時の新聞記事にホリデーランドは、「大成功を収めた」とか、「子どもたちがポップコーンをたくさん食べた」とか、「ウォルト・ディズニー自身が来て、お客さんと同じように楽しい時間を過ごした」などと書かれていました。
また、全米のメディアでもホリデーランドが大きく取り上げられます。

ウォルトとイマジニアは、結果がどうであれ、全米の注目を集めたことをきっかけに、ディズニーランド敷地内の芝生エリアとして『ホリデーランド・セクション』を加える計画を立てました。

しかし、新しいアトラクションやショーにスペースを確保するアイディアが優先されます。
結果として場所の確保が難しくなり、1957年6月に正式なセクションとしてディズニーランドの外に隣接して建設されることになりました。

赤丸の場所がホリデーランド?

1962 Disneyland Map Holidayland
Linda Trimm 1962 Disneyland Map

ホリデーランド 当初の構想計画

当初ホリデーランドは、19世紀末のシンプルで懐かしさを感じる時代をイメージしていました。
華美なショーやアトラクションは作らず、とにかくシンプルにこだわりました。

オープンな屋外スペースは人混みを避け、リラックスして過ごしたい家族連れに最適な空間になりました。
大人たちは野球、バレーボール、バドミントン、蹄鉄投げでなどで楽しみ、子どもたちは遊具で遊ぶことができました。

蹄鉄投げ(Horseshoe pitching)のイメージ?

また、ディズニーランドに専用の入場ゲートがあったので、混雑を避けての入場が可能でした。

企業の社員ピクニック用へ

ホリデーランドは、約7,000人を収容できました。

大人数のイベントに最適であったため、多くの大企業がホリデーランドを借し切り、社員ピクニック&パーティーなどを行っていました。
特に、普段ディズニーランドに行く機会が少ないキャストメンバーとその家族にとっては、ディズニーの世界を体験できる絶好の機会でもありました。

ディズニーランドのサーカスで使用していた「キャンディーストライプのサーカステント」をホリデーランドに移設します。
ディズニーランドにあるレストランのレッド・ワゴン・イン・レストランは、そこで食事の提供をしました。
ビール飲み放題のランチセットが売れ筋だったそうです。

レッド・ワゴン・イン・レストランについて?

このようにしてホリデーランドは、大企業のピクニック&パーティーが主な利用方法となりました。
大人向けに設計されてしまったため、平日は誰もおらず、週末のイベントの時だけ予約で埋まる状態でした。

ディズニーランドの「失われたランド」

平日だけでなく、休日の利用率も徐々に下がってきました。

理由はいくつか考えられます。

・7,000人収容のランドに十分な数のトイレがなかったこと。
・テント以外に日陰がない。
・敷地内に夜間照明がない。
・ディズニーランドと比較すると、テーマや内装が安っぽく、ディズニー「らしさ」が全くない。

このように、解決できない問題が徐々に積み重なっていったため、閉鎖に追い込まれていきます。

そしてとうとう、1961年9月に閉鎖されました。
当時、ホリデーランドのマネージャーであったディズニー・レジェンド(2005年受賞)のMilt Albright(ミルト・オルブライト)は、
「ホリデーランドが閉鎖したのは、何か一つのことが原因ではない。いろいろなことが複合的に作用したからだ。」と語っていました。

今では、ディズニーランドの「the lost land(失われたランド)」と呼ばれることもあります。

ミッキーのキャラクター遍歴について?

ホリデーランドの跡地

ホリデーランドが閉鎖された1961年に、「Pirates of the Caribbean(カリブの海賊)」「Haunted Mansion(ホーンテッドマンション)」のアトラクションが、新エリアのニューオーリンズ・スクエアに建設される計画が発表されました。
ホリデーランドの跡地を利用し、新アトラクションのバックステージにしようと考えました。

赤丸の場所は現在、バックステージエリアとして利用されています?

1962 Disneyland Map Holidayland
Linda Trimm 1962 Disneyland Map

1988年の地図?

Disneyland Guidebook 1988 Map
sanctumsolitude Disneyland Guidebook 1988 Map

新エリアNew Orleans Square(ニューオーリンズ・スクエア)オープン

名誉市長

1966年7月24日 「New Orleans Square(ニューオーリンズ・スクエア)」がオープン。

記念すべき日に、ルイジアナ州ニューオーリンズの市長ビクター・シロ氏も出席します。
この式典でウォルトは、シロ氏を「ニューオーリンズ・スクエアの名誉市長」に任命しました。
ちなみにシロ氏も、ウォルトと同じイリノイ州シカゴで誕生しています。

「ここは、まるで故郷のようだ」と、シロ氏は顔をほころばせます。
するとウォルトは ”まあ、もっときれいだと思うよ “と答えました。
ふたりの掛け合い、良いですね?

アトラクションのオープン日は、
・1967年3月18日 カリブの海賊
・1969年8月9日 ホーンテッドマンション
でした。

ウォルトは1966年12月15日に他界しているので、完成を見届けていません。
前述の式典が、パークで最期の公式の姿でした。

パーク内はアルコール禁止

ディズニーランドで、アルコールが売っていないことを不思議に思ったことありませんか?
実は、ホリデーランドが大きく関わっていたのです。

ウォルトは、ディズニーランドを家族みんなで楽しめるパークにしたかったので、敷地内ではアルコールの提供はしないと元々決めていました。

このように述べています?

No liquor, no beer, nothing.
Because that brings in a rowdy element.
That brings people that we don’t want and I feel they don’t need it.

Walt Disney

(ざっくり日本語訳)
酒もビールもありません。
なぜなら、乱暴な要素が生まれてしまうからです。
それは、望まない人達が集まってくるし、私もそういう人達を必要としていません。

パークの敷地内では、アルコールの禁止ルールを徹底します。
家族向けのテーマパークにおいて、酔っ払いによる過激な行動を排除したかったからです。
あくまでも、家族的な楽しい雰囲気に影響があってはならないと、強い信念を持っていました。

パークに隣接するホリデーランドでは、アルコールOKでした。
アルコールを飲みながら、大人たちがゆったりくつろぐ空間だったからです。

しかし、ウォルトの懸念は的中しました。
酔っ払ったゲストが、ディズニーランドのメインエリアに入り込みトラブルを起こし、パークで遊ぶ家族連れに迷惑をかけたのです。

このアルコールのトラブルも、ホリデーランドが閉鎖された一因かもしれません。

経営者として、パーク内でのアルコール提供は、とても難しい問題でした。
どうしてもお酒が飲みたいゲストが、一定数いることはわかっていました。
そこで、ニュー・オーリンズ・スクエアに、アルコール提供をする大人の社交場「Club33」を設けたのです。
パークで遊ぶゲストとは、一線をかくした大人向けのラウンジです。
しかし、「Club33」が完成したときには、ウォルトはもうこの世にはいませんでした。

歴史を振り返る

今では、実際にホリデーランドに入場したことがある人は、少なくなってきています。
61~65年前のことですからね。
ホリデーランドが存在したことを知らない人の方が多いかもしれません。
そもそも、昔のアトラクションなどに、興味を持つ人が少ないと思います。
知ったところで、失ったものが戻ってくるわけでもないですし。

個人的には、ディズニーの歴史を振り返る動画や映像を見るのが好きです。
特にウォルトが関わったプロジェクトについては、特に興味を引かれます。

ミッキーマウス・クラブ・サーカスホリデーランドのように短命で終了したものであっても、あの時代に創造性豊かな発想が出てくること自体が、単純にすごいなと思います。

ディズニーのイマジニアは、昔に存在したアトラクションや、古い映画などへのオマージュを随所に「隠れミッキー」的な感じで忍ばせてくれるので、楽しいですよね。
そういった意味でも、現在はもう無い「失われた◯◯」をこれからも記事にしていけたらと思っています。

Disney and Friends (1950)
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